【Vol.4】大胆だけれど繊細だった九州男児~読売巨人軍村田修一~
実家は北九州の小倉だ。
近くには北九州市民球場がある。
福岡ソフトバンクホークスの準本拠地球場だ。
巨人やDeNAの2軍も定期的に利用している。
夏には高校球児が使う。
甲子園の切符を求め、まさに熱闘高校野球が展開される。
今でも忘れない。
1998年の福岡決勝戦。
東筑VS東福岡戦。
東福岡のエースで3番が村田修一だった。
キャッチャーは後に福岡ダイエーホークスに指名される大野隆二。
たしか3番ショートだったような気がする。
たまたま、観客席から応援していた。
いかんせん、両チーム合わせて4名がプロに指名される名門同士の戦いだ。
接戦になると思いきや、試合展開は東福岡が東筑をぼっこぼっこにしていた。
中でもたまげたのが村田のホームランだ。
防球ネットに直撃した。
打った瞬間だった・・・
打って当たり前といった表情でダイヤモンドを1周した「男村田」。
プロに入ると思いきや、日本大学に進学しそこから野手としてのキャリアを積み上げる。
卒業後は晴れて、ドラフト自由枠で横浜ベイスターズに入団。
1年目から25本塁打を放つ。中でも9月には月間10本塁打という新人記録を作っている。
横浜時代は在籍9年でホームラン王2回、Gグラブ賞1回、三振王1回。
2012年には「優勝争いをしたい」という理由で読売巨人軍へのFA宣言。
1年目は打率.252に終わるが2年目には打率.316にホームラン25本。
見事に復活を果たすが翌年から低迷する。
試合中に原監督からの強制自宅送還もあった。
監督が由伸に変わった2016年には打率3割にホームラン25本、Gグラブ賞にベストナインとセ・リーグ三塁手の頂点に立つものの、まさかのそのオフに巨人がマギーを獲得。
2017年はまるで出来レースのごとくベンチを温める日々。
セ・リーグのど真ん中を歩いてきた、いや駆け抜けた男村田。
個人的に忘れられないホームランがあと1本ある。
2016年のクライマックスシリーズ、村田はデッドボールをうけた。
足を引きずり1塁に向かう。
見ているこちらにも痛々しさが伝わった。
コーチからの交代打診には決して首を縦に振らなかった。
守備にもついた。
そして、次の打席でホームランを打った。
結果論になるが何か打ちそうな気がした。
本当に打ちそうな気がしたんだ。
いや、打ってくれると信じていた。
これが「男」だ。
巨人時代に低迷していたとき心無いファンは「男村田」ではなく「乙女村田」と呼んだ。
そんな周囲の野次は聞き流し、読売巨人軍のホットスポットであるサードを5年も守り続けた。
プロに入って15年、受けた死球の数はちょうど150個。
厳しい内角球にも決して逃げない。
大胆に踏み込む。
当てられても当てられてもとにかく試合に出続ける。
守備は堅実だ。
繊細さすら感じた。
球際に強いあの守備力だけでも立派な一流選手だ。
村田の戦力外が決まった日に、長野久義は涙したという。
坂本勇人は落ち込んだという。
後輩からの人望も絶大だった。
見た目はまさにヤンキー。
心は後輩思いのよき理解者、、、あんちゃんだ。
乙女??
んなこたあない。
村田は絵にかいたような昭和男児だ。
よき兄貴分だった。
2017年11月7日、、、村田の移籍情報は全くでていない。
まだまだ、老け込む年でもないし、バッティング技術も守備力も健在だ。
どの球団でもいい。
もう1回みたい。
ホームランを??
いや違うね。
デッドボールあたってもひたむきに試合に臨み、ベンチに戻るときは全力疾走、そしてインタビューを受けたときの満面の笑み。
活き活きしている「男村田」をもう1回見たい。
まだ、いける。
がんばれ、村田。
これからも夢を見させ続けてくれ。